今はまだ歩き出せない、でも前を向こう。

このブログでこのような事を書く事になろうとは夢にも思いませんでした。
前の記事で「とても悲しいことがありました」と書きましたが、今回少し気持ちが落ちついてきたのでそれについて書かせていただきます。
4月11日、妹が急逝いたしました。
東日本大震災が起きてからちょうど1ヶ月。余震が再び活発に起こり始め、再び緊張が走る中の突然の悲報。
あまりにも突然過ぎて正直今でも生きているような気がしてまだ少し現実を受け止めきれない感じです。
家族を失う悲しみ。これ程までにつらい事だとは思いませんでした。
妹とは子供が生まれてからはあまり会わなくなり、連絡もほとんど無かったので「育児に忙しいのだろう」と思い、普段はあまり気にしないようにしていました。
1年程前に一度だけメールで連絡がありましたがとても元気そうで、逆に自分を気遣ってくれたりしていました。
なので「きっと元気にやっているんだろう」と思っていた矢先でした。
突然知らされた妹の死の知らせ。
それまでほとんど気にしていなかったはずの存在が頭でいっぱいになりました。
そして自分はこの時信じられずに「事実だったら受け止められるか?どうやったらこの事実がうそになるだろう?」とありえない事をひたすら考えていました。
パニックになるというのはこういう事なのでしょうか。
しかし遺体と対面した時、否定できない事実、そしてその顔は間違いなく妹の顔という逃れようのない現実に抑えていた不安と悲しみが堰を切ったようにあふれ泣き崩れました。
とても死んでいるとは思えない、普通に眠っているような安らかな顔で、今にも目を開けてこちらの問いかけに答えてきそうに見える反面、もうどんなに最先端の医学をもってしても再び息を吹き返す事はないという事を本能的に感じていて止めどなく涙が流れてきます。
どんなに生きているように見えても、頭で事実を否定しても本能がそれを「現実だ」と容赦なく突きつけてきました。
最後の別れの時は本当につらかった…
遺体が焼かれて骨になってしまうと思うと「いつか戻って来る日の為に残しておけないものだろうか」と思ってしまうものでした。
世界には過去に死者をミイラとして埋葬するという風習(今でもあるのかな?)があり、正直不気味だなと思った時がありましたが、この時ほどその風習の意味を痛感した事はありませんでした。
でも、火葬で骨にする事で「もう絶対に戻ってくることはないんだ」ときっぱりあきらめ、気持ちに区切りをつける事が出来ます。そして再び前を向けるようになります。
すなわち火葬は、「人生の貴重な時間を戻ってこない人の為にいつまでも費やさないよう」にという前向きな風習なのだと思いました。そしてそれをずっと自分に言い聞かせました。
まるで夢の中にいたような一週間。もの凄く長く感じたようで、それでいてあまりにも速い一瞬にも思えました。
葬儀を終え、骨となった妹を家の仏壇に供え、「おかえり」と言ってやりました…
もう苦しむ事も悲しむ事もない…安らかに眠っている事でしょう。
今回とても大きくつらい体験をしました。間違いなく人生で最もつらい体験です。
正直立ち直って歩き出せるという段階にはまだいません。
しかしきっぱりと大きな区切りがついて、歩き出さないまでも「前を向く」事だけはできたと思います。
生きている全てのものに必ず訪れる死という別れ。悔いの無いように生きる事の大切さを見直す事ができました。
今回体験した事をこうして書き残す事で自分自身の気持ちの整理をつけることができました。
そしてこれを読んでくださった方にもう一度「生きているという事はどういう事か」を考えていただければと思います。
遺された人に悲しみを与えないためにも、一度失ったら二度と戻ってはこない命の重さを改めて考えてみてください。
今回の震災では多くの方が同じような体験をされていると思うと本当に胸が痛みます。
一日も早く前を向き、立ち直って歩き出せるように祈っています。
それと自分を勇気づけてくださった方々、一緒になって泣いてくださった方々(;_;)。
本当に救われました!
この場をかりて心から感謝の気持ちを表したいと思います。
ありがとうございました。
読みづらい文章で大変恐縮ですが今の自分にはこれが精一杯なので申し訳ありません m(__)m